粕谷 英雄 追悼ページ
粕谷 英雄 (1927 - 2002)
粕谷 英雄は 2002年9月8日午前5時44分、永眠いたしました。
このページは、父、粕谷英雄の生前の写真などを、まとめたものです。
御覧になっていただき、故人を思いおこしていただけたら幸いです。
ご挨拶
父は、昭和2年5月18日に埼玉県入間市小谷田で生を受けました。
十代で第二次世界大戦の激動に巻き込まれ、少年飛行兵、いわゆる「予科練」に入隊しました。
飛行機に乗ることに憧れての入隊でしたが、終戦に近く練習機すら残っていなく、結局グライダーにしか乗れなかったようです。
結局、海軍の嵐部隊という小型潜水挺の機関士となり、終戦を瀬戸内海の小豆島で迎えました。沈みそうな小船に、大勢の兵士が乗り組み、半分泳ぎながらようやく本州に渡ることが出来たと聞いています。
(香川県立小豆島高校の歴史ページには、海軍嵐部隊が校舎を接収したとの記録があります。)
終戦後、教員の資格を取るために、大泉師範学校へ行きました。戦後の混乱の中、アメリカ兵と結託したヤミ屋のようなことをして、なんとか生きのびたということです。
小学校の教員の資格を取得後、父は、定年となるまで、
練馬区立練馬第2小学校、
豊島区立池袋第2小学校、
板橋区立赤塚小学校、
板橋区立高島第6小学校
で教鞭を取り、数多くの教え子と接する機会を得ました。
練馬第2小時代に、喜和子と知合い、結婚。長女 桂子 と長男 淳(私)を授かりました。この当時、早稲田大学の2部の学生でもあった父は、その入学金を母から借り、結局返さなかったと聞いています。
教員を引退した後も、多くの趣味を持ち、アコーデオンやクラリネットなどを楽しんでおりました。子供好きでしたので、二人の孫たちにも慕われ、良きおじいちゃんでありました。
1997年11月に母 喜和子が脳出血で倒れてからは、その介護を本当に献身的に行い、様々な介護医療のボランティアにも積極的に参加しておりました。
2002年の春に、病が発覚しましてからは、本当に駆け抜けるように、その75年の生涯を閉じてしまいましたが、その闘病生活におきましても、最後の最後まで強靭な意志を貫き通しました。
「人は死して名を残す」などと申しますが、私は、人間は生きた証として3つのものを残すことが出来ると思っています。それは、遺伝情報、そして記録と記憶です。
父は、二人の子供をもうけ、その子供である私は二人の子供をもうけました。考えてみれば、この遺伝情報の連鎖は、太古の地球の熱いスープの海でアミノ酸がDNAとして構成され、生命として発祥して以来続いているものです。私達一人一人の持つ遺伝情報は、その奇跡のような生き残りゲームの勝者の証です。父のその遺伝情報は孫たちに受け継がれており、さらに後生へと発展していくことを願っています。
戸籍やその他もろもろの記録のなかに、ある人が生きていたことを見付けることができます。父が、世に送り出した数多くの教え子達の卒業アルバムの一冊一冊に父の記録が残っているという事実は、とても素晴らしいことです。このホームページも、父の生きていた記録としての役割を果たせればと思っています。
そして、最後が記憶です。父は、私達家族に数多くの素晴らしい想い出を残していってくれました。父の記憶を思いおこすことは、父が生きていたことの証であり、父が我々の心のなかで生き続けていくことでもあります。
皆様も、父との御交友の記憶を、今後も機会がございましたら思い起こしていただけたらと、お願い申し上げます。
皆様が覚えていらっしゃる父とのの想い出など、もしよろしかったら私までメイルしていただければ、このホームページで御紹介させていただきます。
粕谷 淳
闘病の手記
父は、2002年3月に入院して以来、毎日の出来事などを小さな水色の手帳に細かく記述していました。
この手記は、父が他界する2日まで記載されていました。
父が、2002年9月に他界した後、4冊の手帳が残されました。
ここにその手記の中から、家族へのメッセージと言える部分を抜粋して紹介したいと思います。
近年の写真
ここに紹介する写真は比較的最近写された父の写真です。母の病院での医療ボランティアなどでの姿が見られます。
近年の写真
若き英雄
1冊だけある父の若いころのアルバムから、父の若いころの写真を集めてみました。終戦をむかえたときに、乗っていた小型潜水挺の写真も見ることができます。
若き英雄の写真
父の写真箱
父の写真箱には、沢山の白黒写真が未整理のまま、入れられていました。おそらく多くが、練馬第2小学校時代のものとおもわれます。年代を特定するのは、私には無理なので、被写体の構成によって分類してみました。もし、皆さんが、御自身を見付けられたら、 私までメールしていただけると幸いです。
教え子達との写真
同僚の人たちとの写真
一人での写真
若い頃の母との写真もありました。時代も時代であり、あまりロマンティックな話は聞けませんでしたが、私の目には素敵な夫婦として写っていました。そんな二人の、若く輝いていたころの写真です。
喜和子との写真
大泉師範学校同期会の写真です。
写真をクリックすると拡大出来ます。
孫たちとの想い出
この写真は、父と母が1995年12月にアメリカの我が家に遊びに来て、サンフランシスコのマリンワールドに行った時のものです。