闘病の手記 (抜粋)
 

< 3/31 救急車で川満医院に入院 >

< 4/25 転院のため一時退院 >

4/25

午後は、少し休んで(ドラマをみて)池のポンプの掃除をしようとしていたら
お母さんから電話がかかって来た。お母さんの明るい声を聞いてほっとした。
よくしゃべるようになった。ところどころわかった。会話ができるように
なって嬉しい。

< 4/26 多摩老人医療センターに入院 >

5/3

午後、桂子が来た。何か食堂でお母さんがぐずっている。お父さんに聞いて
もらいたいという。何か少し興奮して大きな声でしゃべるがよくわからない。
話に合いづちを打ちなだめる。幸ちゃんやおばちゃんが来たので家に帰り
たくなったように思い、お父さんも頑張るからお母さんも、といってやっと
なだめる。帰りは少し落ち着いてかえっていった。

5/6

桂子は梅の実を今朝早く起きてもいだそうだ。二Kgあったそうだ。大変だった
ろうと思う。今までこんなことはお父さんの役だったが、一人になるとよく
やっていると思う。カリカリの小梅ができるかどうか。たのしみだ。

5/18

今日はお父さんの誕生日。三人でバナナを食べてハッピーバースデーを歌う。
楽しい一時であった。

5/19

久しぶりの天気になった。少し気分が良くなった様な気がする。
9:00 お母さんの着替え
9:45 公園で緑の空気を吸う。気持よし。
10:30 お母さんがくる。桂子がたかし君の誕生日のお祝いのファックスを
届けてくれた。これが一番嬉しいね。

5/20

アメリカに7:30ごろTel、淳やカー君と話ができ、あとで菜美ちゃんがTelで
誕生日を祝ってくれた。やっぱり嬉しいね。よく75まで生きて来たものだ。
俺は幸せかな。

< 5/24 一時退院 >

5/26

峻君にファックスを送る。
庭で梅の枝を切っているときTelあり。峻君と淳と間違える。病状を説明し、
横浜の方も、援助してやるようにいう。

5/30

お母さんよりTelあり、すぐに出かけた。お母さんは電話口でたてつづけに
よくしゃべるようになった。少々意味不明でもありがたいことである。

6/7

お母さんがちょうど今日帰って日曜日に戻ればいいというので、外泊できるか
聞いてみるとOKが出たので午後のヘルペスの診察が終ってから家に三人で帰る。
お母さんは久しぶりで嬉しそう。

夕方のごはん後、風呂の入り方をお姉さんに教えたり結構忙しい。
少々くたびれた。

6/8

久しぶりの家でお母さんとすごす。

6/17

テント、乗車用のブリッジを片づける。
休んでいるとアメリカからTel。菜美ちゃん、カー君、パパ。こちらの様子を
話す。菜美ちゃんも日本に来てくれるそうだ。顔を見るのがたのしみ。

< 6/18 再入院 >

< 6/27 退院 >

6/29

アコを弾いてみる。歌も唱ってみる。どうにか大丈夫のようだ。
毎日がリハビリかな。

7/8

4:30 お母さんからTel。今日は暑いからコンサートを聞きに行ったそうだ。

4:45 家を出る。バーミヤンの所の交差点で危なく衝突。こちらが信号無視。
酸素のことを考えていたせいだ。悪いことをした。相手の人もびっくりした
だろう。こんなことは始めてで、気をつけよう。

夜、里美さんからTel。菜美も元気。州の代表(二名)でテネシー州のビジネス
大会に出てきたそうだ。えらくなったなあ。おじいちゃんは応援しているよ。
こんな調子であえないのを残念に思っている。会いたいなあ。

7/11

11:30 菜美ちゃんからTel(大泉にきている)
里美さんと菜美ちゃんは歩いて家まできた。あつい、あついといっていた。
桂子がいれば迎えに行ってやりたかったがお母さんを残してそれもできず。
久しぶりに菜美ちゃんに会う。いい娘に成長してきた。
アメリカでは、代表に選ばれたり、高校生活はすばらしかったらしい。

7/18

今日は、午前中介護のおばさんが来た。小生は自分の部屋にいた。人と合うのが
わずらわしくなっている。

午後 おばさんが帰ったあと、お母さんと二人で桂子と淳の誕生日を歌って祝った。
アメリカに届いたかなあ。

7/21

自動車をとりに来たので、車庫から運転していってもらった。
ドアと前にやったキズも(自費)なおしてもらった。お世話になったから、
もう乗ることもできないかも知れないが、この車、きれいにしておいて
あげましょう。桂子もなれれば運転できるかも知れない。
考えてみれば、おれは幸せものであった。息子はアメリカで活躍し、
桂子は親孝行だ。あとちょっとの命か。18で終りが、いままで生きちゃって
戦友に悪い気もする。死んだら、天国にいかれないかな。
お母さんは、ソウトクジにみんながいるから墓地買ってもいいな。そしたら
みんなにあえるよ。お寺にもう一つくらい墓地があるかきいてみるのもいいか。
 

7/24

今日は、介護のおばさんが来る。だいぶ慣れたようだ。
お母さんは、二日間出たので少々疲れ気味。
小生も胸が痛む。だんだん悪くなっている。

桂子に墓地のことを話した。もしできたら おばあちゃんやきみさんのいる所が
いいかなと思って言って見たら、鈴木のおばちゃんに言って聞いてもらった
らしい。250万円+80万円ぐらいだそうだ。
浅草なら 菜美も峻君も墓参りに来やすい様な気がするから。

お母さんより俺の方が早いかも。75年はあっという間だね。でも、家族を
大事によく助け合ってきたものだ。
不幸が幸をもたらしたり、いい人生だったと思う。こう動けなくなると、
少しでも話せて、手足を動かして、頭もはっきりしている内にあの世に行け
たらなと思うのは ぜいたくかな。

淳君とカー君と見舞に来てくれて本当に嬉しい。もうみんなに会うのも
最後かもしれない。

何だか、一日一日体が動かなくなるような気がする。来週の火曜日位までもつか
と思ったが、金曜日に入院をしよう。あとは先生まかせだ。これも運命。
孫たちは社会人に立派に成長するだろう。
ボストンの話と写真をみて、いいところを選んだなと思う。パパのおかげか、
ママのおかげか、二人とも親孝行の人に成長してもらえた。

淳と峻君が、8時頃家についた。大きくなったものだ。
淳といろいろと話す。俺の話しは昔話になってしまう。もう寿命が短くなった
からかな。
 

7/25

カー君は早くおきてきた。
銃を物置から出してやる。いろいろと話をして、午前中早くも池袋(オギクボ)に
出かけて行った。

11時、ヘルパーの人が来る。大分 お母さんも慣れたようだ。俺が出て行くと
お母さんも気をつかうので今日はベッドでスパゲティ(オイシイ)を食べる。

カー君は 荻窪に行っていたらしい。淳と けいたいで連絡をとり 池袋で
トロンボーン(15万円)を買って来た。
淳は友達の家に行き、カー君はトロンボーンの練習(地下)
上がって来て、お母さんと、小生、桂子に、一曲聞かせてくれた。たった三ヵ月
で上手になるものだ。

< 7/26 入院 >

7/26

今日は 淳が車を運転して病院に向かう。右と左、ウインカーをまちがえたりして
苦笑いをしていた。

7/27

午前、姉から知らされたと言って和野さん 淳君とカー君がくる。ちょうど
話ができて良かった。

午後、園部のマコちゃんが運転して、お姉さんと静ちゃんが見舞に来てくれた。
俊次郎氏も倒れて、言語障害が残って入院中ということであった。
お姉さんと静ちゃんは元気だ。みっちゃんがよく働いてくれたそうだ。やっぱり
肉親だな。

午後、お母さん 桂子もきて みんなに会うことができた。
でも私の方は少々クタビレタ。
早くねる。
 
 

7/29

淳が来てくれる。いろいろと親切にしてもらうとちっと嬉しいやらはずかしい。
 
 

8/1

10:45分ごろ、淳君一家が来る。里美さんも元気で何よりである。菜美ちゃん
がボストンに行ってしまったら、三人でさびしくなるんじゃないかな。
今回は犬を預けて来てくれた。淳一家のそろいぶみだ。
慣れない外国でよく頑張ってくれました、里美さんには感謝をしています。
菜美ちゃんにおじいちゃんの若い頃の話をした。一週間親元を離れて、
トイレで泣いたこと。一月めに、また家に帰りたくなったことなど。
昔と違って今は電話ですぐ遠くでも話ができるし、昔と違っているかもしれない。
学生寮も三棟建っていた。立派だ。窓からおしっこというわけにはいかない
(大泉師範の俺)

8/2

午後はすごい雷。今日は来なくてもいいのにと思っていたら、3時半頃、お母さん
里美さん、菜美ちゃんがくる。
後部座席が上げられず困ったらしい。
こんな日は来なくていいのにと思ったが、有難いことだ。

8/3

午前、カー君と淳が来る。車に随分慣れたらしい。

午後、里美さん、お姉さん、お母さん、菜美ちゃんが、淳君の運転で来てくれる。
お姉さんに、ライフまで命がけで運転させたそうだ。
お母さんは、すぐに帰りたくなる。ナーシングから本を借りて来てくれた。
いい家族で幸せだ。里美さんには15年の苦労に感謝、感謝。

8/4

午後、淳、桂子、里美さん、菜美ちゃんが来る。
菜美ちゃんに、肩を揉んでもらう。孫に揉んでもらうなんて思っても見なかった。
嬉しい。とても上手であった。いい子に育った。ママに感謝する。
今日は、夕方、淳君が横浜にいくので、お母さんが気にして早く帰ろうとしている。
よくこんなに回復したものだと思う。
3:30頃みんなが帰る。

8/5

午前、淳と峻君がくる。原宿に友人と行って来たそうだ。

8/6

午後、里美さんと菜美ちゃんがくる。菜美ちゃんに肩をもんでもらう。幸せ。
お母さんも来て、3時半ごろ、みんな帰っていった。

8/7

ウトウトしていたら(水マクラ)、淳、里美さん、菜美ちゃん、カー君が来た。
二人で交代で肩をもんでもらった。カー君の手はかたくて、なみの手は
やわらかだ。何て、俺は幸せなんだろう。

午後、桂子、お母さん、里美さんが、淳と一緒に来てくれた。明日は、みんな
アメリカへ帰る。桂子も疲れただろう。明日は来なくていいよと言った。
本当にいい家族をもって幸せ者だ、俺は。
 

8/11

二時頃、お母さんが桂子と一緒に来た。毎日、自動車にのって練習していると
いう。よかった。

8/27

桂子に孫の手を売店で買って来てもらう。一個だけあったそうだ。
桂子に足をもんでもらって幸せだなあと思う。

菜美ちゃんと峻君からファックスをもらって、久しぶりに心がなごんだ。
ありがとう。

9/1

今日は、菜美がボストンに行く日だ。只、無事を祈るのみ。

9/4

午後、お母さんと桂子が3時40分頃来た。部屋を変わったそうだ。
元気でいいな。俺もなんとかがんばらなくっちゃ。足を二人でもんでくれる。
ありがたい。4時45分頃帰っていった。

9/5

10時頃、淳が来た。一日早い。
足をもんでくれ、アメリカの様子を話してくれた。
菜美ちゃんの法律、カー君の医者、えんがんけいびたいになりたい等。
午後もずーと足をもんでくれた。
8時頃帰る。

9/6

午前中、淳が来て足もみなど、世話をしてくれた。
お母さんは、10時に退院。
おめでとう。
昼食、食欲なし。
点滴を左手にかえてもらう。
1時頃、みんな家に帰る。

< 2002年 9月8日 早朝 永眠、 75歳 >